作品情報
原題:Tár
監督:トッド・フィールド
出演:ケイト・ブランシェット/ノエミ・メルラン/ニーナ・ホス/ソフィー・カウアー/アラン・コーデュナー/ジュリアン・グローバー/マーク・ストロング
制作国:アメリカ
上映時間:158分
配給:ギャガ
年齢制限:G
あらすじ
世界最高峰のオーケストラのひとつであるドイツのベルリン・フィルで、女性初の首席指揮者に任命されたリディア・ター。天才的な能力とそれを上回る努力、類稀なプロデュース力でその地位を築いた彼女だったが、マーラーの交響曲第5番の演奏と録音のプレッシャーと新曲の創作に苦しんでいた。そんなある時、彼女が指導した若手指揮者の訃報が入り、疑惑をかけられたターは追い詰められていく。
ケイト・ブランシェットが圧倒的な演技で魅せる、壊れゆくマエストロの栄光、失墜、そして再起
久しぶりに時間的余裕が取れたので劇場で新作をいくつか観られた。
映画館スタッフとしては上映中の映画を観ておいた方がその映画を観にきた人にさらに寄り添った接客が出来るようになるという僕の持論があるので、やはり新作はなる早で観ておきたかったのだがなかなか長くて重そうな映画だと覚悟もいる・・・
ということで「TAR ター」を観てきた。
上映回数の減りが早いためか、平日昼のいい時間に置かれた上映では6、70人くらい入ってただろうか。
ほどんどは5〜60代、昼下がりに映画を観にきたマダムが多めというよくあるパターンだ。
※ネタバレ、と呼ぶか迷うが結末に対する所感も書きたいので嫌な人は観てから読むように
女性初のベルリン・フィル首席指揮者リディア・ターが数多くの問題に見舞われ次第におかしくなっていく映画という触れ込み、そして158分の長尺、さぞ重厚でしんどかろうと思ったが、意外とそこまででもなかった。
いや、むしろ僕は「爽やか」とまではいかないまでも結構ライトな感覚で、158分を長いとも感じず、なんなら短く感じたくらい。
端的に言ってあまりにも良くできた、とても素晴らしい映画だった。
映画を観る前と後でターの印象は全く違う
ターは確かに天才で傲慢で貪欲だが、努力に裏打ちされた実力とその地位に満足せず高みを目指そうとする創作者としての真摯な姿勢、そして天才的なセルフプロデュースの才能とカリスマ性がある。
完璧主義者だしプライドも高そうなので現実で自分が関わり合いになりたいかは別にして、トップに立つ指揮者の仕事っぷりに圧倒され、一人の人間としての姿が垣間見える日常を過ごすシーンに心が奪われた。
そこに何処か胡散臭く確かに何かやらかしてそう、という雰囲気も混ぜ込みつつ、それでもこのキャラクターに惹かれてしまう。
ケイト・ブランシェット史上最高と評されるのも納得の圧倒的な演技だ。
作り手の行動が社会規範に沿わない場合、その人の創作物自体の評価が変わるのかというキャンセルカルチャー問題は映画でも漫画でも国内外問わず頻繁に目にするが、「バッハが20人も子供を作ったのが気に入らないから彼の音楽は聴かない」という主張は音楽という芸術が紡がれてきた歴史を含めて基礎をしっかり固め、その先にある創作を目指すターには許せなかったのだろう。
確かにターはアカハラパワハラなんでもありで、音楽という芸術を第一に捉える人物だが、例えば「セッション」のフレッチャー先生ほど人間性が終わっているわけでもない。
フレッチャー先生の様に追い詰めていくそれ自体を楽しんでそう......というよりは、バッハを馬鹿にされてムキになって論破したという様相。
このシーンはかなーーーーーーーーーーり長いワンカット(ケイト・ブランシェットの見事な芝居とバッチリのショットを撮り続けるカメラの神業でワンカットに感じさせない見事な出来!)で撮られており、終盤の悪意ある編集動画と対比させている事は間違いないだろう。
トッド・フィリップスは天才か?
チェロ奏者のオルガの登場はターの破滅を確信させた。
彼女は演奏がうまく魅力的で、心奪われたターは演奏を彼女中心にしていった事で楽団員に反発される。
忘れ物を届けにいくシーンも何処か小悪魔的なオルガは僕も好きになっちゃったし、追われる側のターが初めて追う側として必死になっちゃうのは見ていて面白かった。
だが、ターが私欲全開で彼女を贔屓したかというと、その前のチェロのソロパートオーディションでは満場一致で彼女が選ばれており、その実力は本物だ。
こういったバランスの取り方がトッド・フィリップスの意地が悪いところだ。
特に衝撃的だったのがクライマックス。
失墜して職を追われたターが古びたビデオ、おそらく彼女のルーツになるお気に入りのオーケストラ指揮者たちの映像だ。
僕はクラシックに造詣が深くないのでわからないが、そのビデオの指揮者は「音楽は言葉にできない感情を表現できる。和音や長調を知らなくても人は音楽から感じることができる。それが音楽の素晴らしさだ」と語る。
これを観て涙したターは初心を思い出したのか、フィリピンに飛んだターはそこで音楽隊の教育者になる。
そして再び彼女は指揮台に立つが、降りてくるスクリーンに映る映像とどこかで聞いたナレーション。
まさか...と思ったところでカメラは客席に座るたくさんの重装備観客を映す。
ターが指揮していたのは、まさかの「モンスターハンターオーケストラ」だった。
ターが素晴らしい人物だとは思わないが、芸術の高みを追求した末に失墜してしまった。
しかし、最後は音楽の本来の意味や意義を思い出し、何のしがらみもない世界で指揮できるようになった、というハッピーエンドだと僕は思いたい。(嫌々演奏しているという可能性もあるかもだが)
彼女は自身の音楽を高めるためならどこまでもドライに判断するのでそれを非情で不条理に感じる人もいると思うが、本人のスタンス以上に立場がそうさせる事だってあるだろう。
耐えられずに離れていくフランチェスカや、楽団員たちの気持ちもわかるが、実力が足りてないのならあの判断が間違いだったとは僕は思わない。
トッド・フィリップス監督はこの映画を創作や芸術を免罪符にしなければ、学生たちの歴史を軽視する姿勢やSNSが正しいという単純な映画にもしていない。
様々なテーマについて明確に自身の考えを表明しつつも、結論がこちらに委ねられているような余白が残されている。
底意地悪くどこまでも冷静な目線の見事な演出で観る者のスタンスが浮き彫りにされてしまうのだ。
そんな難しい講釈はさておいて、ケイト・ブランシェットでなければ成立しない複雑で完璧なお芝居で描かれる一人の女性指揮者のドラマとしてめちゃくちゃ面白い。
長回しのワンカット映像が多用される前半と短いショットを組み合わせた後半の構成で、派手な事件やアクションシーンもないのに158分という時間を感じない見事な仕上がり。
何よりオーケストラ演奏やターを取り巻く様々な環境音などの「音」「音響」のレベルが非常に高い。
映画館に勤めていてもここまでのものにはあまり出会えないと思う。
ぜひ劇場で観てほしい作品だ。