映画「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」(2024)

作品情報
原題:Joker: Folie a Deux
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス/レディー・ガガ/ブレンダン・グリーソン/キャサリン・キーナー/ザジー・ビーツ/リー・ギル
制作国:アメリカ
上映時間:138分
配給:ワーナー・ブラザース映画
年齢制限: PG12
あらすじ
理不尽な世の中への反逆者、民衆の代弁者として時代の寵児となったジョーカーは、テレビ司会者を生放送で殺害した罪で服役していた。そんな彼の前に謎めいた女性リーが現れる。
ヴィラン映画というジャンルから逃げずに現代社会の抱える問題を問いかける
秋深まる季節、かと思いきや真夏日と平年以下の寒気を交互に繰り返し自律神経を破壊しにかかる地球と戦う皆さん。
お元気でしょうか。
ハリウッドのストライキによる作品不足のせいか、新作も4Kリマスターという一応新作の形になっているリバイバル企画が多く、どこの映画館もコロナ禍並みの厳しい数字となっているのではないでしょうか。(うちも例外ではなく)
そんな劇場の期待を一身に背負う秋の大作が2本あります。
「室井慎次 敗れざる者」「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」です。
しかし蓋を開けてみれば室井さんは微妙な滑り出し。
ジョーカーさんは当然前作ほどのムーブメントは期待できないところに、まさかの賛否両論(否多め)と大苦戦。
正直頭を抱えております。
どうしても映画館は受け身の商売。
納品される商品の出来をどうこうすることはできませんし、物売りや集客方法を工夫することでしか自発的に攻めの姿勢を取ることはできない難しい立場です。
配給会社の宣伝も頑張ってくれていますが、劇場は劇場で出来ることをひとつでも多く考えて実行していくことが大事ですね。
さて、そんな賛否両論の「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」を観てまいりました。
結論から言うと非常に良かった。
この映画にNOを出す人が多いこともわかりますが、現代社会に対する痛烈な皮肉も含んだ創造的で独創的な映画。
あの「ジョーカー」という作品の物語を閉じる完結編として非常に順当な内容であり、映像も音響もクオリティは桁違いに高く仕上がっています。
「マダム・ウェブ」や本作のような映画がこき下ろされて、過去作のオマージュやサプライズ以外に見どころが皆無の映画が大ヒットする。
ビジネスの観点からは非常にありがたい話だし後者のような映画も個人的に好きですが、いち映画好きとして思うところは大いにあります。
本作の映画としてのクオリティが非常に高いにも関わらず評価が低い理由をざっくりまとめると
・コミックファンの見たいジョーカー像ではない
・映画の内容が予告編などのプロモーションから想起したイメージとかけ離れている
この2点に尽きるのではと思います。
まず、前作「ジョーカー」は社会的弱者男性アーサー・フレックが自身の中にいるもうひとつの人格のしでかした所業によって民衆のヒーローになるという物語でした。
便宜上ヒーローという言葉を使っていますが、やっていることはただの犯罪。
自分を見下す奴らを殺し、それがちょっとヤバい信奉者に讃えられているだけなので、ヴィランを主人公にしつつ結局は善人になってしまうヴィラン映画の抱える問題はうまく回避しています。
前作はアーサーという男がカリスマ的犯罪者ジョーカーになるまでの過程を描きましたが、本作はその逆。
ジョーカーからアーサーへの回帰を描いています。
少し話題が逸れますが、「闇バイト」という言葉を最近よくニュースで目にします。
主に金の欲しい学生や食うに困った貧者を誘い、危険な強盗などを肩代わりさせることを指す言葉です。
強盗のようなハイリスクな犯罪の場合、そのリターンも高い必要があることは素人的に考えてもすぐわかることです。
ただ、現在よく見る闇バイトによる強盗はというと、素人が無計画に店や家を襲い、数万円から数十万円ほどの物を持って逃げるという非常に効率の悪いものがほとんど。
少し考えたらリスクにリターンが見合ってないことがわかると思うのですが、深く考えを巡らすことをしない、もしくは出来ないような人たちが増えているということなのでしょうか。
3年前に起こったトランプ支持者による議事堂襲撃もそう。
普通に考えれば法治国家で許されるはずのないことですが、実際に起きてしまい一部では社会を大きく変えた運動のようにもてはやされています。
そんな危険な支持者のいる政治家が、そのまま今年も大統領候補として当選ラインに乗っています。
X(旧Twitter)でホットな話題を自動的に流すおすすめ欄はカップルや夫婦問題の愚痴、タレントのスキャンダル、危険な外国人の行動など嘘か本当かわからないことを「本日の怒りコンテンツはこちらです」と言わんばかりに毎日垂れ流す。
アカウントのプロフィール欄を見ればそのアカウントが他人の怒りで飯をくうインプレ稼ぎ目的の釣りアカウントであることは一目でわかりますが、ほとんどの人はツイートを見てまんまと怒って終わっているでしょう。
怒りと不寛容が蔓延し、人間性が疑われることでもやったもの勝ちの社会になっていると思いませんか?
映画に話を戻しましょう。
この映画で主に描かれているのは、SNS,リアルを問わず、現代社会に横行している非常に短絡的なレッテル貼りや過激な思想に対する痛烈な皮肉です。
前作では弱者男性が悪のカリスマになる様子がエモーショナルな演出で描かれていましたが、本作はひたすら滑り倒す。
映画の主人公はジョーカーですが、カメラが映す映像は徹底してアーサーの孤独と悲哀を引き立て、幻想のカリスマを否定しジョーカーとその信者を冷ややかに見つめる第三者の視点になるようわざと演出されています。
映画の予告編は収監されたジョーカーがハーレイと出会い、力を強めて再び悪のカリスマとしてカムバックすることを期待するような作りになっていますが、これが不味かった。
あの予告を見て映画館に来た人が、悪のカリスマとして振る舞うジョーカーと彼を讃える信奉者が滑り倒しているところを第三者視点で見る映画を観せられたら、そりゃあ低評価になるのかなと。
よく”前作で「俺はジョーカーだ・・・」と思い込んだ勘違いちゃんに冷や水をぶっかける、ジョーカームーブメントを作り出してしまった監督のけじめ映画”みたいに言われるのも目にしますが、普通のコミックファンでも冷や水ぶっかけ感想にはなるかなと思います。(というかそういう人たちは前作の時点で「こんなのジョーカーじゃねえ」って言ってたと思いますが)
「007 ノー・タイム・トゥ・ダイ」の結末を見た一部ファンがダニエル・クレイグら製作陣にNOを突きつけたのと同じですね。
原作あるキャラクターで己のエゴ創作を出すなと、そういう理論です。
映画が描いているものは素晴らしく、映画のクオリティも非常にレベルの高いものではあるのですが...
ミュージカル映画にしたのもなんでやねんと思っていましたが、収監されたジョーカーが裁かれるまでの話で派手なシーンを作ろうと思ったら脳内妄想するしかない。
その妄想パートをミュージカルにすることで、映画の見せ場作りとミュージカルが終わり現実に戻った時の哀愁という二つのギミックを演出できてて、これはすごいなと。
「シェルブールの雨傘」に始まり古典ミュージカルのオマージュも多く、思ったよりちゃんと作るぜっていう気概に溢れてたのも良かった。
ジョーカーファンの皆さんや受け入れられないという人もいるのかもしれませんが、個人的には大変素晴らしい映画だったと思います。
自分は愚衆になっていないか我が身を振り返るため、現代人が今一番見るべき映画だと思いますが、低評価ボムでアメリカでの2週目の興収下落率が80%とコミック映画に限らなくてもトップクラスに酷いとのこと。
ままならぬ世の中だなぁとは思いますが、映画館で見るべき映画(お家で見るとちょっとしんどいんじゃない?という感想込み)なので、ぜひお近くの映画館に見に行ってあげてください。