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映画「マッドマックス フュリオサ」(2024)

作品情報

原題:Furiosa: A Mad Max Saga

監督:ジョージ・ミラー

出演:アニャ・テイラー=ジョイ/クリス・ヘムズワース/トム・バーグ/アリーラ・ブラウン/チャーリー・フレイザー/ラッキー・ヒューム/ジョン・ハワードリー・ペリーネイサン・ジョーンズジョシュ・ヘルマン/アンガス・サンプソン/エルザ・パタキー

制作国:アメリ

上映時間:148分

配給:ワーナー・ブラザース映画

年齢制限: PG12

あらすじ

世界の崩壊から45年。バイカー軍団に連れ去られ故郷や家族、全てを奪われたフュリオサ。母を殺したディメンタス将軍と鉄壁の要塞を牛耳るイモータン・ジョーが覇権を争う狂った世界で、彼女は復讐のため、故郷に帰るため、全てを懸けて修羅の道へと歩みを進める。

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創造神ジョージ・ミラーが紡ぐ神話的英雄叙事詩

Witness Me !!!!!!!!

「マッドマックス」で人生が変わり、この仕事を始めたと言っても過言ではない。

そんな僕が絶叫しながら仕事をする時期がついにやってまいりました。

2015年、偉大なるジョージ・ミラー監督自身の手でシリーズが再始動した「マッドマックス」シリーズ。

その第4作「マッドマックス 怒りのデス・ロード」で完全に主人公マックスを食う存在感で我々の心にその名を刻んだ衝撃の新キャラクターがフュリオサ。

それから9年、ジョージ・ミラー監督は本気でこの狂った世界で強く生きるフュリオサという女性の物語を描きたかったのだと、あの映画の真の主役はフュリオサだったのだということをこの映画で補強した。

 

「フュリオサ」は前作「怒りのデス・ロード」とは方向性が違い、歴史を物語るようなストーリー重視の映画になっていて、それでいて復讐劇という第1作目にあった原点回帰を果たした映画でもある。

あの狂気の熱量に脳を灼かれた観客の中では少々賛否があるようだが、僕としてはFURY ROAD前日譚としてこの上ない大正解だと感じた。

それは、ジョージ・ミラー監督自身が描いている聖典だから、というだけではない。

 

溢れ出るアイデアを削ぎに削ぎ落とし95点以上の要素だけを残して凝縮した究極の宝石として磨き上げたものが前作とすれば、本作はその削ぎ落とした破片(ただしその辺の宝石なんか目じゃない強烈な輝きを放つ破片たち)を寄せ集めたらそれだけで一本の映画になったという贅沢な映画だ。

わかりやすさと勢いは前作に軍配が上がるが、それ以上に一本の映画としてのクオリティは前作以上とも言える。

 

前作では描かれなかったイモータン・ジョーが形成する社会の構図や、名前だけ登場したガスタウン、弾薬畑が登場するなど、マッドマックスワールドの拡張で世界観や物語の深みを増す。

そしてもはや職人芸の域に達している完璧なアクション設計のもとに作られるド派手なカーチェイスは本作でも健在。

マッドマックス 怒りのデス・ロード」はバカなアクション映画のフリをしたアート映画であり、その意思を継承した「フュリオサ」も創造神の芸術作品として燦然と光り輝いている。

 

過去の人気作リブート系あるあるの「オリジナルの再現がよくできているリスペクト映画」にならず正真正銘の「聖典」となれているのは、創造神ジョージ・ミラーが直々に監督していることが大きなところだろう。

 

フュリオサ役にアニャ・テイラー=ジョイ起用は大いに心配したが、あの力強く鋭い眼光は紛れもなくフュリオサ。

シャーリーズ・セロンのフュリオサには常に落ち着きがあり、どこかくたびれた様子も感じさせるが、強く絶対に折れない強固な鋼の精神を持っている。

そんな彼女が若くエネルギッシュだったら間違いなくこうなっていただろうという完璧な解釈の一致が見られた。

フュリオサの物語自体は当時から存在しており、シャーリーズ・セロンはそれを監督から聞き逆算して演技していたというが、9年越しに順序逆で作ったとは思えないほど同一のキャラクターとして一貫した演技演出が監督のもとで成され、フュリオサというキャラクターの物語が完成している。

少女フュリオサちゃんも超絶美少女で、砂漠を駆け抜ける逞しい姿にはジブリアニメのような力強い生命力を感じた。(映像を1.3倍速にすることでよりジブリっぽい走りになる)

 

また、フュリオサの母親である女戦士ジャバサを演じるチャーリー・フレイザーも素晴らしい。

彼女はオーストラリアのファッションモデルで、「フュリオサ」はなんと映画出演2作目。

デビュー作は先日公開され(何故か)大ヒットしたシドニー・スウィーニー&グレン・パウエルのラブコメ「恋するプリテンダー」で、チャーリー・フレイザーはグレン・パウエルの(奔放でトップレスも披露してくれるセクシーな)元カノ役を演じている。

その特徴的な顔と美しいスタイルは脇役ながら強烈な印象を僕に残したが、早速2本目が見られるなんて。

それも全く違うジャンルと役柄で、これまた鮮烈な印象を残す完璧な「フュリオサの母」を演じているのだから驚きだ。

2作とも彼女の故郷オーストラリアが登場する映画というところも共通している。

彼女の今後には大いに期待だ。

 

「フュリオサ」を見終わったほぼ全ての人が「今すぐ怒りのデス・ロード見てえ・・・」と思っただろう。

良くも悪くも完璧すぎる前日譚なので、FURY ROADを見るまで終われない。

何ならこれ一本でちゃんと映画になっているのに、どこか途中で終わってしまった感を感じる。

これは「バーフバリ 伝説誕生 / 王の凱旋」に近しい感覚かもしれない。

両方見るとものすごい尺になってしまうが、片方だけを見る選択肢がありえないとすら思ってしまうほど、作品同士の繋がりが強かった。

 

冒頭でも述べたが、本作をもってフュリオサというキャラクターの壮大な神話が完成した。

マックスという映画史に刻まれた圧倒的知名度の主人公がいるこのシリーズで、フュリオサという女性の物語を描こうとするのは間違いなく大きな挑戦だっただろう。

それを御年79歳の巨匠が、何十年もかけて描き切ったのだ。

これはフェミニズムだとか特定の言葉にあてはめられない。

暴力と狂気が支配する崩壊した世界で強く生きるフュリオサという女性の神話を描きたいという、ジョージ・ミラー監督の強固な信念の結晶だ。

 

復讐を果たしたフュリオサがこの後なにをするかは「怒りのデス・ロード」を見た方はご存知の通りで、囚われた女性たちを解放するためイモータン・ジョーに立ち向かう。

個人的な復讐を果たした主人公が続く物語で他者を助けるという流れ、これはそのまま「マッドマックス」の旧3部作でマックスと同じ道を辿っている。

時代は変わり、映画も主人公も変わったかもしれないが、ジョージ・ミラーの根底にあるものは、ずっと変わっていない。