ご一緒にこちらの映画はいかがですか?

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映画「サン・セバスチャンへ、ようこそ」(2024)

作品情報

原題:Rifkin's Festival

監督:ウディ・アレン

出演:ウォーレス・ショーン/ジーナ・ガーションルイ・ガレルエレナ・アナヤセルジ・ロペスクリストフ・ヴァルツ

制作国:スペイン・アメリカ・イタリア合作

上映時間:88分

配給:ロングライド

年齢制限:G

あらすじ

かつてニューヨークの大学で映画を教えていた売れない作家のモート・リフキンは、映画の広報担当である妻のスーに同行して、サン・セバスチャン映画祭へやってくる。リフキンは有名なフランス人映画監督フィリップと妻の浮気を疑うあまり、ストレスに苛まれ診療所へ赴き、そこで人柄も容姿も魅力的な医師のジョーとめぐり合う。彼女に恋心を抱き始めたリフキンは昼夜を問わず、自身が愛したクラシック映画の夢を見るようになる。フェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」の世界が突然目の前に現れたり、オーソン・ウェルズ監督の「市民ケーン」、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」の世界に自身が登場する。やがてリフキンは、映画と現実の間で”人生の意味”を探し始めるのだった。

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陰キャの自問自答、極まれり

ウディ・アレンの映画に特別詳しいわけではないが、僕はウディ映画のこういう主人公が好きだ。

神経質で人付き合いが下手で、やや自己愛が強くて早口で変な知識だけ詳しく、自身の居場所がわからずどこか居心地の悪さを感じているが大概自分のせいという、典型的な「陰キャ」だ。

「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」の主人公はウディが投影されつつも、ティモシー・シャラメというナヨいイケメンだったのでどこか可愛げがあったのだが、本作では名優ウォーレス・ショーンが演じることで老人の悲哀がよりリアルに伝わってくる。

 

ウディ・アレンといえば70年代から00年代に至るまで世界中のあらゆる映画賞を受賞し、アカデミー賞はノミネートされること24回、監督賞1回に脚本賞3回受賞という映画の神に愛された天才だ。

Metoo運動やスキャンダルでキャンセルされたりもしたが、拠点をヨーロッパに移し90歳近くなった現在も作品を撮り続けている。

 

かつてロマコメの名手として名を馳せたせいか本作でもその文句が使われているが、今回はウディ・アレンが堂々と「映画をテーマにした映画」であり、かつて自身が主演まで務めていた頃のセルフツッコミ系映画という方が正しいだろう。

これも昨今の「映画監督が自身の映画愛を全開に作った系映画」の一種か?

流石に全盛期のキレは失われたように感じるが、妙に作り込みがちゃんとしたクラシック名画パロディに健康の話を延々続けるコメディがしっかり笑えて素晴らしい。

 

永遠の思春期とか、円熟しながらも瑞々しい新作、などと言えば聞こえはいいが、いつまでも大人になれない「こどもおとな」が老人になったとも言える。(あまりにも辛辣)

だがウディ先生はとても賢いので、陰キャな自分が周りから浮く原因についてめちゃくちゃ自覚的な脚本を書く。

もう90歳になろうという老人が書いたとは思えない、あまりにも身に覚えがある「陰キャ」の解像度の高さ。

クラシック映画かアニメか、ゲームかVtuberか、ジャンルが違うだけでこれは悲しいオタクの話であり、すべての陰キャは共感を禁じ得ないのではなかろうか。

 

居場所のない年老いた陰キャは新作を貶すことに楽しみを覚え、かつて愛した名作の世界に自身が溶け込む夢や妄想に浸る。(国も人種も年齢も問わないオタクの哀しい性だ)

ミッドナイト・イン・パリ」も「世界は女で回っている」も近いと思うが、ウディ先生の作品の主人公はいつも自身の尊敬する人や愛する作品、もしくは己の創作物に救われている。

愛する創作が自身を救ってくれるという考えはあまりにも陰キャのオタク的だし、ウディ先生のような天才がその思考を軸に生きて創作をしていると考えると胸が熱くなる。

それと同時に、ウディ先生のように成功を収めた天才でない我々凡人がその生き方のままあの年まで行ってしまったらどうなるのかと、ふと恐ろしくなった。

ウディ先生は成功と喪失を何度も繰り返し90歳近くになっているので、「例え痛みを伴う喪失が訪れても人生がお終いになる程ではない」といった希望のある映画を撮り続けてくれるが、やはり天才でない若い自分からしたらキモオタくんが大人になり切らないままジジイになるのは底知れない恐怖だ。

 

このご時世にウディ・アレンの映画なんて、過去作を振り返れば上映できなさそうな映画はいくらか思いつくし、本作だってジジイが浮気して元気になってキモいみたいに言われてもおかしくない。

噛み砕いて言えばそういう話かもしれないが、そんな下品な映画になっていないところがウディ・アレンの脚本と演出の凄いところだ。

ヴィットリオ・ストラーロは彼のポップで可愛い色使いのセンスを見事な質感でカメラに収めていて、こちらも大変素晴らしい仕事でした)

(色使いもだが音楽、フォントに至るまで、ウディ・アレンは幾つになってもセンスがオシャカワなのだ)

 

色気づいたキモいジジイの映画と断じるのは簡単かもしれない。

だが、いつも同年代の友達や年下の後輩、気になる異性に自分が好きな物のマニアックな知識をひけらかして気持ちよくなってる諸君(自戒を込めて)はちょっと考えてほしい。

今の自分がこのまま歳をとり続けた時、この映画の主人公のようにならないと言い切れるのだろうか?

笑ってられるのは今のうちではないか?

 

この映画があなたの笑い事であることを祈る。