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映画「フェイブルマンズ」(2023)

作品情報

原題:The Fabelmans

監督:スティーブン・スピルバーグ

出演:ミシェル・ウィリアムズポール・ダノセス・ローゲン/ガブリエル・ラベル/ジャド・ハーシュ

制作国:アメリ

上映時間:151分

配給:東宝東和

年齢制限: PG12

あらすじ

初めて映画館を訪れて以来、映画に夢中になった少年サミーは、母親から8mmカメラをプレゼントされる。家族や仲間たちと過ごす日々を記録し、自主制作映画の制作も開始。夢を追いかけ始めたサミーを芸術家の母は応援し、科学者の父は不真面目な趣味だと考え本気にはしていなかった。そんな両親の間でサミーは葛藤し、様々な出会いを通じて成長していく。

 

解説

ジョーズ」「E.T.」「ジュラシック・パーク」など、世界中で愛される名作を生み出し続ける巨匠スティーブン・スピルバーグが手がける初の自伝的映画。映画の魔法に魅了された少年時代の原体験、家族の持つ問題や映画監督を志し道を歩み続けた経験をまとめ上げ見事なフィクションに昇華させている。撮影監督はヤヌス・カミンスキー、音楽にジョン・ウィリアムズなど、スピルバーグ盟友たちが作品を支える。

 

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スティーブン・スピルバーグについて

スピルバーグとは、言わずと知れた映画の神様である。

20代後半に制作した劇場作品2作目の「ジョーズ」は言わずと知れた歴史的作品。

その後も「未知との遭遇」「1941」「レイダース」「E.T.」と短期間で傑作を連発し、80年代後半からはシリアスな社会派作品にも手を出し始め(当時は叩かれたが)これもまた傑作の連続。

90年代に入ってからは伝説の「ジュラシック・パーク」とこれまた傑作「シンドラーのリスト」という真逆な映画を同時期制作という偉業を成し遂げた。

2000年代に入ってからも衰えることを知らず、「A.I. 」「マイノリティ・リポート」といった最先端のテクノロジーを駆使した映画制作にも積極的で、制作ペースも2〜3年に1〜2本は作るハイペースを維持。

これ以上はキリがないので少し端折るが、2010年代に入っても「タンタンの冒険/ユニコーン号の秘密」で初のアニメーション監督。「レディ・プレイヤー1」で数多の版権処理を乗り越えた脅威の物量エンタメを作る裏で傑作社会派映画「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」も同時に制作。

74歳にして初挑戦のミュージカル映画がよりにもよってこのジャンルの金字塔をリメイクした「ウェスト・サイド・ストーリー」なのだがこれも見事な仕上がり。

 

何度キャリアの頂点を極めても常に挑戦を続け、偉業を更新し続ける生ける伝説が初めて自らの人生に基づいた映画を撮るなんて、これが傑作にならないわけがない。

といった具合なのでこの先の内容は熱心なスピルバーグ信者の意見だと思っていただきたい。

 

実際「フェイブルマンズ」も劇場で見て震えるほどの傑作だったのだが、ネットで感想を探すと微妙だとかよくわからんだとかそんなのばかり。

題材が渋いので仕方がないのだが興収も微妙だし、日本での広報展開も安っぽい感傷的な自伝映画のような印象を受けるポスターや予告に、なんだかズレを感じていた。

 

周囲の冷ややかな目を他所に「スピルバーグがそんな薄っぺらい映画を撮るわけないだろ!」と自分を鼓舞しながら公開日を待っていたのだが、蓋を開けてみれば、やはりスピルバーグがそんなつまらない映画を撮るわけがなかったのである。(なので海外版予告も貼りました)

 

前置きが長くてワロタ。

やっと「フェイブルマンズ」の話です。

映画の神に愛された男の「映画論」

この映画は確かにスピルバーグの自伝的映画であるが、この映画全体に流れるテーマは「映画の持つ力」であり、それを「映画」を使って観客に説明するという物凄く高度な挑戦にあると思われる。

 

映画は良くも悪くも「真実を明らかにする力」を持っており、時にそれは人を幸せにも不幸にもする。

それと同時に映画は「真実を自由に改変(編集)する力」も併せ持ち、これも時に人を不幸にし、幸せにすることもあるのだ。

 

娯楽映画の神という地位を欲しいままにしているスピルバーグが「映画が持つ力」を畏怖の対象として自覚的に描き、それでも映画に魅了されてその道で生き続けている現実と地続きになっている。

これはもうスピルバーグが信仰心を赤裸々に明かしていると言っても過言ではない。

 

映画の持つ力とは

ネタバレはあまりしたくないので予告編でも垣間見えるシーンに触れよう。

 

サミー少年は家族と映画に行き、そこで見た列車の激突シーンに心を奪われ人生が大きく変わる。

やはりスピルバーグの原点は「激突!」にあった!と一人で嬉しくなったものである。(原題は"Duel"だから偶然なんですが・・・)

スピルバーグがここまで幼い子を中心に映画を撮るのは「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」以来7年ぶりだと思われるが、子役の魅力を引き出す術はいまだに健在だ。

取り憑かれたようにスクリーンを見つめた帰りの車のシーン、始まって10分もしないで「もうここで映画が終わってもいい」と思い涙を流したのである。

映画の魔法にかかり人生が一変した瞬間の表情だけで大人を泣かせるな

家に帰ったサミー少年はカメラと汽車のおもちゃを両親に要求。

幸運にも比較的裕福な家庭なので欲しかった物はすんなり手に入り、その日からサミー少年はどうやったらあの迫力がある激突シーンを再現できるかを追求し始める。

劇中映像があまりにも良すぎて「いきなりそんなハイレベルな映像撮れる子供いる?」とはなるのはさておき、事象を観察するクセや演出を考える基礎がこの頃からすでに出来上がっていたのだろう。

そして完成した映像を母親に見せ、その喜ぶ姿を目の当たりにし、その後の人生が決まるのだ。

 

その後もサミーは映画制作を続けるが、その中で彼は映画によって誰かを喜ばせることも、誰かを傷つけることも、誰かの真の姿を曝け出すことも、隠すこともできる。

それを可能にする才能が自分にはあると少しずつ気づいていく。

その過程を家族の物語というパーソナルな視点で描き、全体のテーマとしては映画の持つ力の恐ろしさと魅力の双方について俯瞰的な目線で触れているのだ。

 

大きいところはそんなところだが、細かく見ればフィルム編集シーンの細かい描写や、戦争映画を作るシーンでのある大切な「気づき」の描写もまた、スピルバーグからの映画制作への深い愛と啓蒙的な意思を感じた。

 

まとめ

スピルバーグは自らの人生を基にした本作で「映画の力」が持つ様々な側面を描いている。

それは良くも悪くも「真実を明らかにする力」でもあり、「真実を自在に改変することができる力」でもある。

彼がその長い人生で何度も、何度も映画の持つ力を発見するに至った出来事。それらがもはや映画論としてまとめられ、めちゃくちゃクオリティの高い「映画」として提示されている。(もはや説得力の暴力、究極の有言実行である)

清濁を併せ持つ人間を達観した目線で描写したヒューマニズム溢れるドラマと、映画制作への深い愛、映画の持つ力を信じ、それを扱う者への警告も込められた、豊かな魅力の詰まった深い深い映画なのだ。

 

〈余談〉

個人的にはジャド・ハーシュ演じる伯父が好き。

あのデヴィッド・リンチ監督が演じた「あの人」の登場、そして有名な逸話でもある「あのやりとり」が見られたことでこの映画の評価は確固たるものになった。

あれがスピルバーグの根底にあり、今日の評価を揺るぎないものにしているのかもしれない。

大すぎる偉業を成し遂げた偉大な人物もスタートラインは我々とそんなに変わらない。

神様を身近に感じるような喜びも、この映画にはあるのではないだろうか。

と、スピルバーグに思わされている時点でもう映画の魔法がそこにあるのだ。

いや〜、映画って本当に凄いですね。